人体を機械学習で解明できるのか?

hacarus.com

我々が把握できている遺伝子の情報は、全体と比べるとほんの一握りで、分かっていない部分の方が圧倒的に多い。

そんな一握りの情報をディープラーニングに与えたところで、複雑系の極みである人体の中では、何が原因で病気を引き起こしているかは絶対に解明できない。

生体データを分析し、例えば「遺伝子データを元に将来の病気リスクを予測する」といったことはとても興味があって、勉強の一環で実際にそういう機械学習モデルを構築してみたいと思っているのだけど、そんなに単純な分かりやすい話ではないということです。

たぶんそれっぽいインプットデータを元に学習させて、それっぽいアウトプットを得ることはわりと簡単にできると思うのだけど、すぐに「インプットデータが圧倒的に足らないからこれ以上精度が上がらない」という壁にぶちあたることはもはや避けようがないのであって。

 

なので、会社として取り組むにせよ、研究機関として取り組むにせよ、

  1. その時点で手に入るデータの範囲で、どうやってより良いアウトプットを出すか試行錯誤する
  2. データを収集する

を繰り返し、もしくは同時並行で進めていって、有用なアウトプットが出れば都度それに意味付けをし実際に活用できるところまで落とし込む、といったプロセスで少しずつ進んでいくことになるんだろうなーと思います。

そういう一筋縄ではいかないチャレンジングな課題だからこそ、しっかりと腰を据えて真正面から取り組むことで得ることができる楽しさも、また格別なんだと思います。

社会人が生命科学を学ぶ理由

大学時代に生命科学を専攻した一社会人としては、今までほぼ生命科学に縁のなかった人が、社会人になってから学び直しの一環として生命科学を学ぶ理由やモチベーションは一体何なのだろうと思うことがあったので、興味深く読みました。

newspicks.com

まず本記事内に記載のある、

生命の仕組みに則った大局的な視点で物事を捉えると、それまで近視眼的に見ていた世界が変わり、生きやすくなるのです。

という考え方には全面賛成で、生命にとっては、

  • 「常に変化すること」
  • 「一つの種の中で多様性が存在すること」

は刻一刻と変化する環境に適応するために当たり前に必要なことなので、その前提に立てば、

  • 知識や経験を日々アップデートすること
  • 同じ組織の中に自分とは全く違った考え方をする人がいることに対する理解

も当たり前に必要なのだと受け入れやすい、ということなのかなと解釈しました。

 

あとは単純に知的好奇心を満たすという点では、生命科学の分野の発展は日進月歩なので、今まで分からなかったことが分かるようになっていく楽しみは、他の分野を勉強するよりも得る機会が多いだろうなと感じます。

19世紀は化学の時代、20世紀は物理学の時代、そして21世紀は生命科学+αの時代、というのはよく聞きますが、まさにその通りだと思います。

個人的には「ゲノム編集」や「人工生命」といった、今までになかった全く新しい技術についてあまり理解できていないので、人に説明できるくらいにはちゃんと勉強したいなと思っています。

 

生命科学を学ぶことは、ひいては「一生命体としての自分自身について深く理解すること」だと僕は考えているので、どんな人であってもぜひ時間を確保して取り組んでほしいし、少なくない時間を費やすだけの価値は十分にあると思います。

社会人として働き続けるために必要なことは?

僕は、どんな会社においても普遍的に通用する(=特定の会社に依存しない)スキルを身に付けることだと考えています。
ueno.link

「10年も20年も社会で働いていて「もしクビになったらどうするか?」ということを考え対策することすら出来ない無能がクビにならないわけがないじゃないかだから準備が出来ている俺はクビにならないだろう。」

特定の会社に依存しないスキルを身につける、即ち今の会社をクビになったとしても別の会社で仕事ができるよう準備をしておくことで、結局は今の会社にも必要とされる人材になり、そんな人はそもそもクビにならないという話。

会社に所属しサラリーマンとして働き続けたいと思う以上は、「いつでも会社を辞めることができる / 転職することができる」という切り札を準備しておくことは、会社と対等な立場に立つために必要な処世術と言っても過言ではないと、強く感じました。

初心者エンジニアに対するレビューのありかた

 「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「どうした」のか、詳細についてこの場で言及する気は全くないけど、身に覚えがありすぎて一周回って面白かった、、笑

qiita.com

無意識に煽る

新人をけっこう落ち込ませるのに効果的です。事故の場合もあるので注意です。
こういう書き方があるのは知りませんでした。どこかに参考になるものはありますか?
<a link="example.co.jp" target="_blank">

「良い上司は一から十まで教えるのではなく、示唆を与えることで自分で気付かせるものだ!」という考えなのかな?とは思うけど、普通に「ここが間違ってますよ、こう直したらいいですよ。」と言えばいいのにね。

なんでわざわざこういう言い方をするんだろうなーと思ってしまいます。

ちゃんと確認した?って確認する

確認していても、「すみません確認不足でした」としか言えなくなる奥義です。

この実装については、ちゃんと確認しましたか?もう少し考える余地がありそうです。
const xyz = Object.assign(xy, {z: 3})

「すみません確認不足でした。」と言ったところで、状況は何も変わらないし、そもそも何を確認すればいいのかが分からないからただただ時間が過ぎていくばかり。

「何を確認すれば良いですか?」と聞いたとしても、「そんなことは自分で考えなさい。」と言われるのは目に見えている。

でも「はい、確認しました。」なんて言おうものなら、「こういう書き方があるのは知りませんでした。(以下略)」と無意識に煽られることになる。笑

 

毎回レビューを依頼する度にこういった返しをされていると、

  1. ミスを指摘されることを極度に恐れるようになる
  2. たとえミスがなかったとしても、何かしらでいちゃもんをつけられるのが嫌なので、レビューを依頼したくなくなる
  3. そもそもその上司とのコミュニケーション自体を極力避けるようになる
  4. 上司との関係が険悪になり、全く評価をされなくなる

ということに陥ってしまうというのは、そのままじゃないけど割と実体験に基づく話で。

こんなこともあったなーともはや懐かしいなんて思ってしまいました。笑

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